石行寺・岩波観音
歴史と文化財
 新福山般若院石行寺は、奈良時代、元明天皇の和銅元年(西暦708年)に行基菩薩の草創で、その後、天台宗高僧の慈覚大師の中興を伝える、歴史ある寺院です。
 平安時代前期から鎌倉時代中期にかけて、周辺一帯は瀧山三百坊の天台修験が栄えました。 石行寺はその重要な拠点となり、峰々に僧坊があり谷には僧庵が結ばれて、全山これ信仰の聖地であったと伝えられています。
 石行寺観音堂(岩波観音)
山形県指定有形文化財
 石行寺開山の折、行基菩薩が竜山川下流(現在の山形市元木付近)から霊木を得て一刀三礼大悲十一面観世音菩薩を刻み、御本尊として安置、衆生の安楽を祈りました。
 面相は飛鳥仏を思わせる一木造りで、台座を含めた高さ七尺三寸(約2.2m)と伝わります。現在は秘仏となっていますが、十二年に一度、子年に御開帳されます。
 観音堂は中興の祖、慈覚大師円仁による「御作ぎょさくの御堂」と称され、瀧山寺最盛期の遺構と伝えられています。 間口奥行ともに柱間三間の正方形の御堂で、明治十一年、昭和六十三年と解体復元工事がなされ、中世の密教寺院堂の様式とされる創建当時の面影をしのぶことが出来ます。
 堂内には、天正八年と九年(1580年と1581年)銘の絵馬をはじめ、壁画や扁額、墨書など数多く古いものが残っています。
《御詠歌》
 皆人みなひとあゆみをはこぶ 岩波いわなみ
ちかいはつきじ こけのむすまで
 寺宝「大般若波羅蜜多経」
山形県指定有形文化財
 文和二年(1353年)に始まり、永和元年(1375年)までの二十三年間にわたって書かれました。百十四巻が現存しています。
 その奥書には南北朝の動乱に関する記述があり、当時の社会の様子が解る貴重な史料となっています。