最上三十三観音歩き巡礼
結願への280kmの道
最上三十三観音の歩き巡礼を始めました。
1日5時間程度を目安に、
のんびりゆっくり、札所を巡ってゆきます。
各札所にて仏縁を結び、
出会いの中で人縁を感じながら
今を生きる人の巡礼スタイルを考える旅 ──
最上三十三観音の歩き巡礼を始めました。
1日5時間程度を目安に、
のんびりゆっくり、札所を巡ってゆきます。
各札所にて仏縁を結び、
出会いの中で人縁を感じながら
今を生きる人の巡礼スタイルを考える旅 ──
(1) ①若松 〜 ②千手院 
令和3年5月、一番札所若松観音をお参り。
今も残る山道 古参道 を下り、
若松寺を守る坊が立ち並ぶ旧道を進むと、
当時 参道入口だったと思われる
小さなお堂と石碑。裏山から猿の親子が、
不思議そうに私を見ている ...
令和3年5月、一番札所若松観音をお参り。
今も残る山道 古参道 を下り、
若松寺を守る坊が立ち並ぶ旧道を進むと、
当時 参道入口だったと思われる
小さなお堂と石碑。裏山から猿の親子が、
不思議そうに私を見ている ...
少し進むと分岐点。
なだらかな街道と、山沿いの細い登り坂。
今日は山沿いをチョイス!
通称「奥の細道フルーツライン」。
1000年以上前、
山寺立石寺からこの土地を譲り受けた
「荻野戸六人衆」
今もなお、産出した果物は
立石寺への奉納が続いている。
少し進むと分岐点。
なだらかな街道と、
山沿いの細い登り坂。
今日は山沿いをチョイス!
通称「奥の細道フルーツライン」。
1000年以上前、
山寺立石寺からこの土地を譲り受けた
「荻野戸六人衆」
今もなお、産出した果物は
立石寺への奉納が続いている。
街道沿いの地蔵堂境内に立つ
山形市文化財「地蔵堂猪供養碑」。
宝暦5年(江戸中期)、
大飢饉により、人も獣も飢えに苦しむ . . .
当時、山寺一帯は殺生禁断の地。
特別に立石寺から許可を得て
生きるために猪を狩る。
供養碑はその時に建てられた。
当時の人々の心情を今に伝える文化財です。
街道沿いの地蔵堂境内に立つ、
山形市文化財「地蔵堂猪供養碑」。
宝暦5年(江戸中期)、大飢饉により、人も獣も飢えに苦しむ . . . 当時、山寺一帯は殺生禁断の地。特別に立石寺から許可を得て、生きるために猪を狩る。 供養碑はその時に建てられた。
当時の人々の心情を今に伝える文化財です。
賑やかな山寺門前を過ぎると空気が一変。
 
脇を流れる川の音しか聞こえてこない . . .
 
二番札所、山寺千手院に到着。
 
賑やかな山寺門前を過ぎると空気が一変。
 
脇を流れる川の音しか聞こえてこない . . .
 
二番札所、山寺千手院に到着。
手記
  • 若松観音古参道は約15分で下山。
    この山道は気持ちが良い。
  • 山寺街道(県道19号線)に「追分碑」あり。昔、山寺に向かう古道の分岐点に置かれていた。今の時代も所々このような道標があると、巡礼者には有難いと思う。
  • 山寺門前まで、ほぼ休憩ナシ。
    中間辺りに、腰を下ろして少し休める場所が欲しい。
今回の歩き距離=約15km
  ①若松 < 15km > ②千手院
3時間45分 (お勤め&休憩含む)
約23700歩
(1)①若松・②千手院