![](page-image-photo-aruki-02.png)
![](junrei-aruki-stamp-reiwa.png)
結願への280kmの道
![](../mark-tendai.jpg)
最上三十三観音の歩き巡礼を始めました。
1日5時間程度を目安に、
のんびりゆっくり、札所を巡ってゆきます。
各札所にて仏縁を結び、
出会いの中で人縁を感じながら
今を生きる人の巡礼スタイルを考える旅 ──
1日5時間程度を目安に、
のんびりゆっくり、札所を巡ってゆきます。
各札所にて仏縁を結び、
出会いの中で人縁を感じながら
今を生きる人の巡礼スタイルを考える旅 ──
最上三十三観音の歩き巡礼を始めました。
1日5時間程度を目安に、
のんびりゆっくり、札所を巡ってゆきます。
各札所にて仏縁を結び、
出会いの中で人縁を感じながら
今を生きる人の巡礼スタイルを考える旅 ──
1日5時間程度を目安に、
のんびりゆっくり、札所を巡ってゆきます。
各札所にて仏縁を結び、
出会いの中で人縁を感じながら
今を生きる人の巡礼スタイルを考える旅 ──
(1) ①若松 〜 ②千手院
令和3年5月、一番札所若松観音をお参り。
今も残る山道 古参道 を下り、
若松寺を守る坊が立ち並ぶ旧道を進むと、
当時 参道入口だったと思われる
小さなお堂と石碑。裏山から猿の親子が、
不思議そうに私を見ている ...
今も残る山道 古参道 を下り、
若松寺を守る坊が立ち並ぶ旧道を進むと、
当時 参道入口だったと思われる
小さなお堂と石碑。裏山から猿の親子が、
不思議そうに私を見ている ...
![](junrei-aruki-2021-photo-01d.jpg)
![](junrei-aruki-2021-photo-01d.jpg)
令和3年5月、一番札所若松観音をお参り。
今も残る山道 古参道 を下り、
若松寺を守る坊が立ち並ぶ旧道を進むと、
当時 参道入口だったと思われる
小さなお堂と石碑。裏山から猿の親子が、
不思議そうに私を見ている ...
今も残る山道 古参道 を下り、
若松寺を守る坊が立ち並ぶ旧道を進むと、
当時 参道入口だったと思われる
小さなお堂と石碑。裏山から猿の親子が、
不思議そうに私を見ている ...
◇
少し進むと分岐点。
なだらかな街道と、山沿いの細い登り坂。
今日は山沿いをチョイス!
なだらかな街道と、山沿いの細い登り坂。
今日は山沿いをチョイス!
![](junrei-aruki-2021-photo-01a.jpg)
◇
通称「奥の細道フルーツライン」。
1000年以上前、
山寺立石寺からこの土地を譲り受けた
「荻野戸六人衆」
今もなお、産出した果物は
立石寺への奉納が続いている。
1000年以上前、
山寺立石寺からこの土地を譲り受けた
「荻野戸六人衆」
今もなお、産出した果物は
立石寺への奉納が続いている。
![](junrei-aruki-2021-photo-01b.jpg)
◇
![](junrei-aruki-2021-photo-01a.jpg)
少し進むと分岐点。
なだらかな街道と、
山沿いの細い登り坂。
今日は山沿いをチョイス!
なだらかな街道と、
山沿いの細い登り坂。
今日は山沿いをチョイス!
![](junrei-aruki-2021-photo-01b.jpg)
通称「奥の細道フルーツライン」。
1000年以上前、
山寺立石寺からこの土地を譲り受けた
「荻野戸六人衆」
今もなお、産出した果物は
立石寺への奉納が続いている。
1000年以上前、
山寺立石寺からこの土地を譲り受けた
「荻野戸六人衆」
今もなお、産出した果物は
立石寺への奉納が続いている。
街道沿いの地蔵堂境内に立つ
山形市文化財「地蔵堂猪供養碑」。
宝暦5年(江戸中期)、
大飢饉により、人も獣も飢えに苦しむ . . .
当時、山寺一帯は殺生禁断の地。
特別に立石寺から許可を得て
生きるために猪を狩る。
供養碑はその時に建てられた。
当時の人々の心情を今に伝える文化財です。
山形市文化財「地蔵堂猪供養碑」。
宝暦5年(江戸中期)、
大飢饉により、人も獣も飢えに苦しむ . . .
当時、山寺一帯は殺生禁断の地。
特別に立石寺から許可を得て
生きるために猪を狩る。
供養碑はその時に建てられた。
当時の人々の心情を今に伝える文化財です。
![](junrei-aruki-2021-photo-01c.jpg)
![](junrei-aruki-2021-photo-01c.jpg)
街道沿いの地蔵堂境内に立つ、
山形市文化財「地蔵堂猪供養碑」。
宝暦5年(江戸中期)、大飢饉により、人も獣も飢えに苦しむ . . . 当時、山寺一帯は殺生禁断の地。特別に立石寺から許可を得て、生きるために猪を狩る。 供養碑はその時に建てられた。
当時の人々の心情を今に伝える文化財です。
山形市文化財「地蔵堂猪供養碑」。
宝暦5年(江戸中期)、大飢饉により、人も獣も飢えに苦しむ . . . 当時、山寺一帯は殺生禁断の地。特別に立石寺から許可を得て、生きるために猪を狩る。 供養碑はその時に建てられた。
当時の人々の心情を今に伝える文化財です。
◇
賑やかな山寺門前を過ぎると空気が一変。
脇を流れる川の音しか聞こえてこない . . .
二番札所、山寺千手院に到着。
脇を流れる川の音しか聞こえてこない . . .
二番札所、山寺千手院に到着。
賑やかな山寺門前を過ぎると空気が一変。
脇を流れる川の音しか聞こえてこない . . .
二番札所、山寺千手院に到着。
■ 手記
①若松 < 15km > ②千手院
* 3時間45分 (お勤め&休憩含む)
* 約23700歩
- 若松観音古参道は約15分で下山。
この山道は気持ちが良い。 - 山寺街道(県道19号線)に「追分碑」あり。昔、山寺に向かう古道の分岐点に置かれていた。今の時代も所々このような道標があると、巡礼者には有難いと思う。
- 山寺門前まで、ほぼ休憩ナシ。
中間辺りに、腰を下ろして少し休める場所が欲しい。
①若松 < 15km > ②千手院
* 3時間45分 (お勤め&休憩含む)
* 約23700歩
(1)①若松・②千手院
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